この記事を100人の親御さんが読んでくれたら嬉しいです。
おはようございます。
親子じかん質の向上委員
TSUMUGIおーたにです。
いろいろな立場の方とお話をする機会から、ひとつ感じることがあってね。
それは、
困ってなきゃいいのかな?
という、否定ではなく疑問が浮かぶんです。
きっと、困っている人って「どうにかしたいな」って行動している人がいる気がするのね。
そもそも
困っていないって誰目線?
って話で。
わたしは、すみません、7割は子どものことを考えて、質のよい親子じかんが一秒でも多くなるお手伝いをする活動してますが、
困っている親御さんを対象にしているわけではないんです。
「子どもが言うこと聞いてくれなくて」「子どもにイライラしちゃって」そんなふうにご相談にきてくださる方が多いですが、もし、こういうワードが
親から見た“ 困っている ”
にあたるとすれば、
「子どもが言うことを聞いてくれます」「子どもにイライラしません」は
親から見たら“ 困っていない ”
かもしれないけれど、それって
子どもから見ても“ 困っていない”なの?
と、疑問に感じることもあります。
「大丈夫」という便利なコトバがありますが、
「大丈夫」が、心から信じているものではなく、不安の裏返しの「大丈夫」なときもあるわけですが、その違い、分かりますか?
心から信じていると子どもが感じられる「大丈夫」と不安の裏返しの「大丈夫」。。親も子どももどんな状態のちがいがあるんでしょう?
社会に出たらたくさんのことがあると思うんですね。
そんな中で「子どもを守る」「子どもの味方でいる」「大丈夫と思える」って、
「なんか色々あって苦しかったし大変だったし、あいつには腹が立つけど、信じていてくれてる人も場所もあるから、わたし帰る!また進める!」って思える場所を作っておくこと
だと思っているんです。
なんか色々あることを排除すること。「あの子とうまくいかないみたいだから、先生配慮してください」とか「あそこんちの子どもどーなってんの?」とかとはちょいと違うんですよね。
そもそも、排除する理由なんてなくてもいいのに、排除したくなる。。その根本てなんなんだろーなぁ。と。
考えたことあります?
わたしがどーしてそんなこと考えているのかというと、
困っていない親の数と、困っている子の数って一緒じゃなくない?!
と感じることがあるからです。
さぁこの「困った」もいろんな解釈ができますが、極論を言うと「困ってもいい」んですが、それが通過点として思えるようになるのには周りの大人をはじめとした人との関わりによると思うのですねぇ。
親の偏ったフィルターを外した子どもの姿(いわゆるそのまんまってやつ)は親の好みに寄せたきせかえ人形にしていたり、放置してたり、口を出しすぎたりしていたら見えにくいかもしれん。
と、わたしはいつのときも、自分の発する言葉の偏りと客観性をみています。
(安心がベースのときと不安がベースのときと、まだ混在しているんですーー)
あ、えとね、まとめると、
正しい!!困ってない!!と思っている大人たちとも子どもたちともお話がしたいな
と言うことです♫
わたしはコミュニケーションの講座をしていますが、困っているからコミュニケーションを学ぶのではないと思っているんです。
なぜならば、生きているから。そして人と関わるから。
国語や算数を困ってから学びましたか?
英語なんて困りゃしないのに学ぶじゃないですか?
あとは小さい頃からの習い事とか。。
泳げなくて困ったの?
ピアノ弾けなくて困ったの?
ダンスできなくて困ったの?
きっと、生きるための何かしらのチカラをつけてほしいなぁ。。そんなふうに望んだのではないでしょうか?
コミュニケーションを学ぶって、それと同じレベルといっても過言ではない
と感じています。(それ以上かも。。というのを堪えています。笑)
なぜならば、生きているから。人と関わるから。(2度目)
お友だちと仲良くしてほしい。自分の気持ちを伝える子でいてほしい。
そんなふうに望んだことはありませんか?
もちろん!これまで通り、お困りの方もいらしてくださいね♫
TSUMUGIおーたにのお伝えするコミュニケーション講座、マザーズコーチング(マザーズという名前ですが、ご夫婦でのご受講をお待ちしています!!)。
まずは導入編。お越しください♡
割引あります!!
お手数ですが、もう一つ、関連記事をお読みになり、お申し込みくださいませ♡
わたし、(ぼく)、この記事読んでちょっと知りたくなったけど、12/3は都合が悪いから、この日にやって!
そんなリクエストも受付けておりますよっ!!
お忙しい所、ありがとうございました♡
0コメント